暮らしの道具を作っています

鍛冶屋を巡る旅 1「工房くろがね」  

原点はここからだった。
高知県にある四万十川。そのほとりで現代ではほとんど失われてしまった古代の製鉄方法「たたら製鉄」という技法で鉄を作っている「工房くろがね」のことを、とある雑誌の記事で知り、訪れたのが今の仕事の始まりだった。
初めて訪れた清流は大自然そのもので、人工物のほとんど無い昔からの変わらぬ風景なのだろうと思った。

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奥に見えるのは沈下橋。
大水の時には川底に沈みじっと耐えている。

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鉄を扱う「鍛冶屋」という仕事は、僕らの世代では「鉄工所」となり、近所に鍛冶屋があったという人はほとんどいない。
僕自身「鍛冶屋」という職業があることを知ったのは20代後半になってからのことだった。
たまたま書店で見つけた「鍛冶屋の教え」という本が目について読んだのがきっかけで、その頃に工房くろがねのことを知り、いても立ってもいられなくなり高知を訪れた。
そして、工房くろがねを立ち上げた、故 岡田光紀さんに出会い話を聞くうちに「たたら」のことや「鍛冶」という仕事、そして「鉄」という素材にさらに興味が沸き、魅了されていった。

工房くろがねでおこなっている たたら製鉄(踏鞴製鉄) とは、燃料の木炭で砂鉄を溶かして還元し、鉄の塊(玉鋼)を得る初期の製鉄方法。それとともに、玉鋼を熱して鍛錬し自由に形を変える鍛造もおこなっている。
鍛冶は工業の原点であるため、機械的なカチッとしたイメージを持たれている方も多いと思うが、工房くろがねには近くで採れた粘土を使用して作った火床(加熱用の炉)があり、鉄を作る原料は海岸で集めた砂鉄や、松の木を焼いた炭。これらを燃やして鉄をつくっている。
また工房は大自然の中にあるので工業という感じでは全くなく、まわりの自然によく溶け込んでいる。


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たたら製鉄の炉。
小型で移動もできる炉は「野だたら」と呼ばれる。
右の筒が左の筒(炉)の上に乗り、炉の筒の中で炭を燃やして下部から空気を送り込み、炉の上部から交互に砂鉄→炭→砂鉄→炭と落とし入れることによって、融けた砂鉄が底に溜まり塊へと成長していく。


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砂鉄と木炭からできた玉鋼。

玉鋼は、現代では刀の原料として知られているが、以前は様々な道具の材料として使用されていた。
「鉄」という金属は、現代では工業が発達して簡単に手に入るようになり、また扱いやすいので、どこにでも溢れかえっている。むしろ錆びるからと嫌厭される程にまでなってしまったが、古代ではとても貴重な金属だったようだ。
日本では縄文時代末期から弥生時代に、大陸から青銅器と共に鉄器が同時に入って来たとされる。
石器と違い熱加工が可能な金属の中で、特に鉄(鋼)は青銅器などには無い高温から急冷することで硬くなる特性を持っていて、道具を作ることに特化した金属と知り、さまざまな道具が作られた。丈夫で貴重な鉄で作られた道具は、大事に形が無くなるまで使い倒された。故に古い鉄製の道具が残っていないのだとされる。使える部分はリサイクルされ、それ以外は錆び朽ちはて大地へ帰ってゆく。
現代の鉄は、組織が均一で扱いやすく供給も安定しているが、均一である以上、すこし面白みに欠ける。
古代の方法で作られた鉄は、手間がかかる分、作られる過程の履歴がそれぞれに違った表情で鉄の表面に表れる。その奥行きと細やかな美しさが人々を魅了して、貴重な鉄は現代よりも大事に扱われていたのだろうと思う。


現在は、岡田さんの遺志を引き継ぎ、後任の、林 信哉さんが工房を引き継いでいる。
数年ぶりに伺った日は、林さんもまた、自ら海岸で集めた砂鉄で鉄を作り、その鉄で製品を作っていた。



工房くろがねでは、たたら製鉄や鍛造体験もおこなっています。

たたら製鉄 古式鍛造工房くろがね
〒787-1324
高知県四万十市西土佐
口屋内天王山944





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