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鍛冶屋を巡る旅 2「黒鳥鍛造工場」  

今回の旅のきっかけは、高知県の「黒鳥鍛造工場」の梶原照雄さんから頂いた1本の電話がきっかけだった。
「一度来てみないか、何かあるよ」と。ほぼ自己流で四苦八苦している駆け出しの鍛冶屋のことを知って梶原さんは連絡を下さった。連絡を頂いてから、なかなか都合が付かずにだいぶ時が経ってしまったが、見学を申し出ると快く受けて下さった。

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梶原さんは黒鳥鍛造工場の四代目。生活に必要な鉄製の道具のほとんどを作ることができる今では残り少ない野鍛冶である。現在も変わらずに地域の暮らしを支えている。
野鍛冶はもともと、ものづくりが工場にとって変わる以前はどこの地域にもあったもので、近隣の人たちの暮らしを支えていた。
何をするにも人力か、馬や牛の力を借りて生活をしていた時代は、道具の使い勝手が仕事の能率を左右するので、使い手と作り手が共に考え改良を重ね、道具の形は洗練されてきた。野鍛冶の生み出す生活道具、その系譜をしっかりと受け継いでいる最後の世代ではないかと、梶原さんの仕事を見ていて思った。
工業化による大量生産の波に押し寄せられ、地域に密着して人々の暮らしを支えてきた野鍛冶は現在はほとんど残っていない。


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歴史を感じさせるとても古いカタログ。
もともと高知県は林業が盛んで、厚物と言われる、鉈や斧など刃に厚みがある山林道具の注文も多かった。

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仕事場には沢山の工業機械が据えてあるが、オートメーションではなく、どれも手の延長線で扱う機械ばかり。
以前はベルトハンマーが無い時代もあったようだが、少しずつ機械を増やして能率を上げていった。ベルトハンマーは、使いやすいように、かなり改良されている。

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熱源はプロパンガスが主だが、重油や廃油なども切り替えて使用することができる。
自作の火床(炉)は、幅と奥行きがあるので、一度にたくさんの鉄の材料を入れて加熱することができる。
温度もわりと一定に保つことができるので、とても効率が良い。

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この中にいろんな道具の材料が入っている。
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この日は、一度に平鍬、鉈、包丁の製作工程を見せて頂いた。

平鍬の火造り
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片刃鉈の鋼付け
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鍛接
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鉈の形が見えてきた。
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包丁
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火造りの終えた平鍬。このあと柄の入る櫃(ひつ)の部分が付く。
平鍬は(平鍬に限ったことではないが)ただの平面の板ではなく、櫃の付く部分と、土を切る刃の両耳の部分は厚めに仕上げてある。(角は摩耗しやすく、丸まると切れず使いにくくなるために厚くしてある)
鋼は中央付近まで入っているが境目がわかるだろうか。ただの一枚の鉄板ではなく、硬い鋼が付いている。
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完成した鍬の表面はほとんど削られておらず、ハンマーでたたいて形作ったことが見て取れる。
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平鍬と鉈は鋼を鍛接し、包丁と鎌は利器材を使っている。
(鍛接とは、鋼と鉄を高温で叩いて接合する方法で、少し手間のかかる昔ながらの方法。
利器材とは、それを省略したあらかじめ鋼と鉄が合わさった状態の材料)
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2日目は、鎌の製作を三種類を見学させて頂いた。
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小学生の時から相鎚を打っていた鍛冶歴60年の梶原さんは御年70歳。
火造りが始まると、まるでマラソンランナーのように全く休憩をとらずに次々と鉄を打ち伸ばしてゆく。
そしてハンマーでたたいて形作った品物は、それぞれがピタリと重ね合わさる。
アウトラインを削らなくてもいいようなこの精度は、どれ程の鎌を作れば到達できるのか。
熟練した技術には無駄がなく、普通にやっているようだが、実はそんなに簡単なことではない。
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鎌の製作工程。左から順に鎌の形に変わって行く。
写真、真ん中の状態は少しきつく屈ませてある。そこから内側の刃の部分をたたいて刃を打ち出すため、内側が薄くなって距離が伸び、きつく屈ませた角度が戻ってちょうどいい角度に仕上がる。まったく無駄が無い。
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火造りの実際や、使っている材料の種類や大きさ、熱処理、金属顕微鏡による組織の状態の変化、研ぎ、設備のこと、土地の歴史、仕事に対する姿勢など。沢山のことを惜しげもなく教えて下さいました。
梶原さんは「同じようにしろということではないよ、参考にしなよ」と言う。
そう、鍛冶屋に限ったことではない。みんなそれぞれの状況で工夫しながら生活の糧を得ている。
その時代や状況に合わせて、自分の力で工夫してきた人の言葉には思い遣りがあった。



黒鳥鍛造工場さんでは、店頭にてお買い求めることができます。

黒鳥鍛造工場
高知県高岡郡四万十町本堂430
Tel 0880-24-0291







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鍛冶屋を巡る旅 1「工房くろがね」  

原点はここからだった。
高知県にある四万十川。そのほとりで現代ではほとんど失われてしまった古代の製鉄方法「たたら製鉄」という技法で鉄を作っている「工房くろがね」のことを、とある雑誌の記事で知り、訪れたのが今の仕事の始まりだった。
初めて訪れた清流は大自然そのもので、人工物のほとんど無い昔からの変わらぬ風景なのだろうと思った。

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奥に見えるのは沈下橋。
大水の時には川底に沈みじっと耐えている。

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鉄を扱う「鍛冶屋」という仕事は、僕らの世代では「鉄工所」となり、近所に鍛冶屋があったという人はほとんどいない。
僕自身「鍛冶屋」という職業があることを知ったのは20代後半になってからのことだった。
たまたま書店で見つけた「鍛冶屋の教え」という本が目について読んだのがきっかけで、その頃に工房くろがねのことを知り、いても立ってもいられなくなり高知を訪れた。
そして、工房くろがねを立ち上げた、故 岡田光紀さんに出会い話を聞くうちに「たたら」のことや「鍛冶」という仕事、そして「鉄」という素材にさらに興味が沸き、魅了されていった。

工房くろがねでおこなっている たたら製鉄(踏鞴製鉄) とは、燃料の木炭で砂鉄を溶かして還元し、鉄の塊(玉鋼)を得る初期の製鉄方法。それとともに、玉鋼を熱して鍛錬し自由に形を変える鍛造もおこなっている。
鍛冶は工業の原点であるため、機械的なカチッとしたイメージを持たれている方も多いと思うが、工房くろがねには近くで採れた粘土を使用して作った火床(加熱用の炉)があり、鉄を作る原料は海岸で集めた砂鉄や、松の木を焼いた炭。これらを燃やして鉄をつくっている。
また工房は大自然の中にあるので工業という感じでは全くなく、まわりの自然によく溶け込んでいる。


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たたら製鉄の炉。
小型で移動もできる炉は「野だたら」と呼ばれる。
右の筒が左の筒(炉)の上に乗り、炉の筒の中で炭を燃やして下部から空気を送り込み、炉の上部から交互に砂鉄→炭→砂鉄→炭と落とし入れることによって、融けた砂鉄が底に溜まり塊へと成長していく。


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砂鉄と木炭からできた玉鋼。

玉鋼は、現代では刀の原料として知られているが、以前は様々な道具の材料として使用されていた。
「鉄」という金属は、現代では工業が発達して簡単に手に入るようになり、また扱いやすいので、どこにでも溢れかえっている。むしろ錆びるからと嫌厭される程にまでなってしまったが、古代ではとても貴重な金属だったようだ。
日本では縄文時代末期から弥生時代に、大陸から青銅器と共に鉄器が同時に入って来たとされる。
石器と違い熱加工が可能な金属の中で、特に鉄(鋼)は青銅器などには無い高温から急冷することで硬くなる特性を持っていて、道具を作ることに特化した金属と知り、さまざまな道具が作られた。丈夫で貴重な鉄で作られた道具は、大事に形が無くなるまで使い倒された。故に古い鉄製の道具が残っていないのだとされる。使える部分はリサイクルされ、それ以外は錆び朽ちはて大地へ帰ってゆく。
現代の鉄は、組織が均一で扱いやすく供給も安定しているが、均一である以上、すこし面白みに欠ける。
古代の方法で作られた鉄は、手間がかかる分、作られる過程の履歴がそれぞれに違った表情で鉄の表面に表れる。その奥行きと細やかな美しさが人々を魅了して、貴重な鉄は現代よりも大事に扱われていたのだろうと思う。


現在は、岡田さんの遺志を引き継ぎ、後任の、林 信哉さんが工房を引き継いでいる。
数年ぶりに伺った日は、林さんもまた、自ら海岸で集めた砂鉄で鉄を作り、その鉄で製品を作っていた。



工房くろがねでは、たたら製鉄や鍛造体験もおこなっています。

たたら製鉄 古式鍛造工房くろがね
〒787-1324
高知県四万十市西土佐
口屋内天王山944





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