暮らしの工芸

時間を使う  

誰だって、ひと月のうちの何日かは体調が優れない日があるわけで、そんな日に難しい内容の仕事をすることはなるべく避けたいと思う。どうせ同じ時間を使うのなら、体調がよくて頭がクリアーな時に難しい仕事を。頭ぼんやりの時にわりと失敗の少ない仕事をするほうが効率的だと思う。仕事である以上全てそんな訳にもいかないけれど、なるべくそんな流れで仕事を進めたいと思っている。

鍛冶で失敗しやすい作業というのは「鍛接」と「焼入れ」である。
鍛接とは、鉄と鋼を高温でくっつける作業。
焼入れは、高温の鋼を水の中に入れて急冷し硬くする作業。失敗したら数十分から下手をすると一日の仕事がパーになる。どちらもやり直しが利かないのでとても気を使う。
こんな作業は頭の中がクリアな時になるべくやりたい。

頭の中がぼんやりの時は、刃を研いだり、柄を付けたり、燃料の消し炭を焼いたり、その他の雑用をしたりする。
もう、どうしようもなく何もしたくない時は、可能ならばいっその事何もしないで気分転換をしたい。そんな時に良いものなんて作れる訳がないと思っているし、それはとても自然なことだと思っている。
自分の体が発している、青黄赤のサインを感じ取る。カレンダーの赤と白ではなく、自分の中の赤と青になるべく従いたい。

しばらく、何ヶ月、何年とぼんやりの時だって誰にでも必ずあるものだし、そんなときは、ぼんやりのなかにも少しの晴れ間を見つけて、崩れないようにゆっくりと経験という石を積み上げていくしかない。
崩れなければ、積み上げることをやめなければ、必ず高さは増していく。もし崩れてしまったら、たぶん積み上げる場所かタイミングが、本当に自分が望んでいる所ではなかったのだろう。しょうがないから場所を変えて、また積み上げるだけ。
積み上げたい場所が分かっていれば、とりあえず何か今出来ることが見えるはず。最初は礎石を置くための草取りだって、土いじりだって、地固めだって。道具の手入れでもなんでも、何かやれることがあるはず。
こんなこと書いたからって自分が出来ているのではなく、これは永遠に続く石積みだろう。積み終わって振り返るとなんか違うような気がして壊して、また最初から積み直したくなる。

そういった、トライアル&エラーの履歴がある日突然輝きだすのかもしれない。
誰かが棄てた空き缶を、小学生が学校の帰り道で蹴りながら帰って塗装が剥げ、踏まれて凹んでドブに落ちて、錆朽ち果てかけたところを、滅びの美だと誰かに見い出され、錆の佇まいに惚れた人が華を活けたら今までのボロボロの履歴が美しくみえた、一瞬だけ。そんなものだと思う。
何もしないんだったら、何もしなかっただけ。
諦めたら諦めただけ。
頑張ったって、報われないかもしれない。
やり続ければ、出来る可能性があるというだけ。
たったそれだけの神頼み。

自堕落するのは簡単で、自然体との境界線が何処にあるのか分かり難い。
無理して突っ走って、自分がぶっ壊れたら本末転倒で、それでもそこを目指すのならとことん気の済むまでやればいいが、人に迷惑はなるべくかけない。
何かを誰かに求めているのなら、自分が見本になって、結末がどうなるのかを見せればいいだけ。でもそれだと時間がかかるから何かを言いたくなるのは良くわかる。
こんなことを、うだうだ考えべらべら喋って何が言いたいのか何なのか、そんな人間同士だから、そんな人間に共感することができるのだろうか。

もともと今の仕事に出会ったのも、自分自身に無理が無く、死ぬまで持続可能なライフスタイルを考えてたら、様々なご縁があってたどり着いた。
そして自然体でいることによって、多くの方々に力を貸して頂いて今に至る。
この仕事は、現代ではあまり需要がなく、淘汰されかけている仕事だからお金には苦労するだろうとは思っていた。
でも、今まであったものに、+α の何かを組み合わせて、今までとはちょっと違った視点で見せることが出来るのなら、結構いろんな人に見てもらえるということが少しづつ分かってきた。
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category: 気儘に

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