暮らしの工芸

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夏の終わり  





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category: 気儘に

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深海に棲む、まだ見知らぬ生命体。
ふわふわと羊水を身に纏い、沈み漂い、かすかな音を感じている。

生まれたばかりの生命は、とても自然で自由な格好をしている。
長い間、水中をポコポコゆらゆらとしていたが、ふと気がついたら長い海底トンネルの入り口にいた。
先へ行くか行くまいか、ぼーっと考えているが、そんな感情すら意味を成さず水のようにただ低い場所へ向かって流れ出す。

暗く深い海底の奥底から、短いようで、とても長いトンネルをくぐり抜け、少しだけ明るい場所へ躍り出た。
水面へと出ると、自然に、とても深く息を吸いこみ、気がついたら泣いていた。

目の前は白く抽象的で、ものの輪郭は滲んでいるが、明らかに今までとはなにかが違うことを直感で悟った。

うっすらと感じる光。
ピコーン、ピピピ、と聞いたことのない不思議な音が鳴っている 。
いつもと違う様子に戸惑っていると、ふいに抱き上げられ、喉と鼻の奥に何かが入ってきたが、それはすぐに終わり、苦しい感覚は瞬間的に覚悟した時間よりも短く、一瞬で過ぎ去った。








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小さな人  


あっという間に大きくなって、ふと気がついたら走っていた。
想像していたよりも、だいぶ成長は早い。
想像していた通りに、日々の生活に追われていた。

自分が子供だった頃を思い返して照らし合わせてみたり、
大人になるとあたりまえのことを再確認したり。

自分がやりたいと思ったことに、素直に全力で突き進む。
親に都合が悪いことで否定されれば全力で泣く。

泣き疲れて寝て起きて、ごはんをお腹いっぱいに食べて、
遊んで笑ってふらふらになって、燃え尽きて寝る。

笑った顔が、すごく幸せそうでよかった。


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category: 気儘に

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紅葉  


今朝、仕事に行こうと駐車場に行ったら、山の上の木々が色づいているのが目に入り、天気も良いし気温も過ごしやすく日曜日という事もあって、近くの林道を少し散策することにした。

一年に一度しかない山の色。紅葉をし始めた山にはとても癒される。

所々落ち葉が良い香りを放っていて、香りを閉じ込めて持ち帰りたくなる。
植物もここでずっと生きているんだなーと、毎年思うこの感覚。
もう少し、人の生活圏に樹々があってもいいよなとよく思う。
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植林された一年中緑の山よりも、広葉樹が沢山ある山が好きです。
もう少ししたら、いろんな色が楽しめるでしょう。

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黄色に色づいた唐松林


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山梨県から見える富士山は、左右対称に近く格好が良い。
太陽の位置関係から、午前中は逆光になるので山肌はあまり良く見えないが、夕方近くになると西日に照らされて、山肌がよく見えます。





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時間を使う  

誰だって、ひと月のうちの何日かは体調が優れない日があるわけで、そんな日に難しい内容の仕事をすることはなるべく避けたいと思う。どうせ同じ時間を使うのなら、体調がよくて頭がクリアーな時に難しい仕事を。頭ぼんやりの時にわりと失敗の少ない仕事をするほうが効率的だと思う。仕事である以上全てそんな訳にもいかないけれど、なるべくそんな流れで仕事を進めたいと思っている。

鍛冶で失敗しやすい作業というのは「鍛接」と「焼入れ」である。
鍛接とは、鉄と鋼を高温でくっつける作業。
焼入れは、高温の鋼を水の中に入れて急冷し硬くする作業。失敗したら数十分から下手をすると一日の仕事がパーになる。どちらもやり直しが利かないのでとても気を使う。
こんな作業は頭の中がクリアな時になるべくやりたい。

頭の中がぼんやりの時は、刃を研いだり、柄を付けたり、燃料の消し炭を焼いたり、その他の雑用をしたりする。
もう、どうしようもなく何もしたくない時は、可能ならばいっその事何もしないで気分転換をしたい。そんな時に良いものなんて作れる訳がないと思っているし、それはとても自然なことだと思っている。
自分の体が発している、青黄赤のサインを感じ取る。カレンダーの赤と白ではなく、自分の中の赤と青になるべく従いたい。

しばらく、何ヶ月、何年とぼんやりの時だって誰にでも必ずあるものだし、そんなときは、ぼんやりのなかにも少しの晴れ間を見つけて、崩れないようにゆっくりと経験という石を積み上げていくしかない。
崩れなければ、積み上げることをやめなければ、必ず高さは増していく。もし崩れてしまったら、たぶん積み上げる場所かタイミングが、本当に自分が望んでいる所ではなかったのだろう。しょうがないから場所を変えて、また積み上げるだけ。
積み上げたい場所が分かっていれば、とりあえず何か今出来ることが見えるはず。最初は礎石を置くための草取りだって、土いじりだって、地固めだって。道具の手入れでもなんでも、何かやれることがあるはず。
こんなこと書いたからって自分が出来ているのではなく、これは永遠に続く石積みだろう。積み終わって振り返るとなんか違うような気がして壊して、また最初から積み直したくなる。

そういった、トライアル&エラーの履歴がある日突然輝きだすのかもしれない。
誰かが棄てた空き缶を、小学生が学校の帰り道で蹴りながら帰って塗装が剥げ、踏まれて凹んでドブに落ちて、錆朽ち果てかけたところを、滅びの美だと誰かに見い出され、錆の佇まいに惚れた人が華を活けたら今までのボロボロの履歴が美しくみえた、一瞬だけ。そんなものだと思う。
何もしないんだったら、何もしなかっただけ。
諦めたら諦めただけ。
頑張ったって、報われないかもしれない。
やり続ければ、出来る可能性があるというだけ。
たったそれだけの神頼み。

自堕落するのは簡単で、自然体との境界線が何処にあるのか分かり難い。
無理して突っ走って、自分がぶっ壊れたら本末転倒で、それでもそこを目指すのならとことん気の済むまでやればいいが、人に迷惑はなるべくかけない。
何かを誰かに求めているのなら、自分が見本になって、結末がどうなるのかを見せればいいだけ。でもそれだと時間がかかるから何かを言いたくなるのは良くわかる。
こんなことを、うだうだ考えべらべら喋って何が言いたいのか何なのか、そんな人間同士だから、そんな人間に共感することができるのだろうか。

もともと今の仕事に出会ったのも、自分自身に無理が無く、死ぬまで持続可能なライフスタイルを考えてたら、様々なご縁があってたどり着いた。
そして自然体でいることによって、多くの方々に力を貸して頂いて今に至る。
この仕事は、現代ではあまり需要がなく、淘汰されかけている仕事だからお金には苦労するだろうとは思っていた。
でも、今まであったものに、+α の何かを組み合わせて、今までとはちょっと違った視点で見せることが出来るのなら、結構いろんな人に見てもらえるということが少しづつ分かってきた。

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もう一度食べたい味  

たまにふと思い出す味。
会社勤めだった頃、だいぶ前のことなので場所を忘れてしまったが出張で兵庫か大阪に行ったとき、高速のI,Cの入り口付近で昼飯を食べに、何となくお店の佇まいが気になって入ったラーメン屋の味が忘れられない。

店に入ってカウンターに座り、多くの客が注文している一番人気のありそうな「チャンメン」だったと思うが注文した。カウンターからは厨房の中の様子がよく観察できた。
しばらくして、おそらく自分の「チャンメン」であろう仕事に取りかかる神経質そうな若い男が目に入った。
この男の仕事を見て何故かこの「チャンメン」は絶対に旨いと確信する。なぜならこの男、中華鍋で具を炒め、数種類の調味料で味付けをしたあと、匙で味見を一回、二回と。調味料を足してまた味見。味が決まったか?と見せかけ、ラードを足してまた味見。どうもこの男、毎回こんな感じで味見をしているようである。
味見をするためにちょっと多めにつくらなあかんやないの?なんて関西人でもないのにツッコミを入れたくなる。
多分彼の中にある味の基準に限りなく近付けるようどんぶり一杯ごとに彼なりのチャレンジをしているのであろう。納得するところまでやる、気に入らなければ捨ててしまいそうだが、それはさすがにやらないか。
そして、そのどんぶりが目の前に出された。
スープを啜る、ドンピシャだった。想像通りの味にもう無我夢中で食べ終えて幸せだった。
もうあの味の記憶が薄れてきている。今食べたら違う味に感じるのかな。

最近友人に連れられてわりと近所にある初めて入った定食屋の肉もやし炒めと、アジフライが旨くてビールが最高だったのだが、〆にみそラーメンをたのんだ。その時もカウンターに座っていたので厨房の中がよく見えた。
そこでもう3、40年は営業しているだろうか。
年季の入った親父さんがみそラーメンの味見をした。匙でぐぃと一杯、合格のしるしか流しで匙がかちんと鳴った。
あの「チャンメン」を作る男を思い出した。この親父さんも昔は何度も味見をしたのだろうか。チャンメンの彼があと2、30年たったらどうなのだろうか。
もう一度食べたい味。


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